これから
美を追求した歌人の泥くさい和歌
夏になって照りつける日射しに
クラクラするころになると思いだす歌がある。
行きなやむ 牛の歩みに たつ塵の 風さへあつき 夏の小車
夏の暑い昼下がり。混雑している大通り、ちっぽけな貧乏貴族の自分の乗る牛車は渋滞にまきこまれて、さっきからちっとも進まない。
御簾から入り込んでくる風さえ熱風で、あまつさえ牛の歩みも遅ければ、照りつける地面から撒きあがる土ぼこりと牛から醸し出すむわぁ~っとした臭気さえもが入り込んできて、暑くるしさがハンパない。イライラ倍増するぜ~って歌です。
和歌ってうつくしいもの、刻一刻と変化していく美しい景色や
恋のせつなさ、楽しさ、哀しさを歌うものじゃなかったの?
こんなリアルで泥くさい和歌を、イライラする感じ満載で
平安時代の人が歌っていたなんて。。。と衝撃をうけた。
さらにこの歌の作者が、美を限りなく追究して
和歌のスタンダードを確立し、
「源氏物語」の今にいたるまで通用するテキストを確定し
おまけに書の世界では画期的な変革&価値観をもたらした
そこにいるのは、
和歌の大家としてすましてお洒落な宮廷歌人ではなく、
泥くさくてイラチで社会的に評価もされず裕福でもなく
ちっぽけな自分に誰よりも自分自身がいらだっている
人間くさい一人の男としての定家という人物だった。
定家。。。
藤原定家(ふじわらのていか)といえば、
たぶん読者の皆さんのもつイメージとして
日本史では「新古今和歌集」を選定し、和歌というものの一つの頂点を確定した人とか
お正月や中学高校時代に暗記させられた
「百人一首」を作った人と思われていると思う。
私のなかでの定家は、
美をあくまでも追究し誰よりも生に執着し
自分の中での美しいもの・正しく残しておくべきものを確固として持ちつづけて
当時の平均寿命のほぼ二倍の長きにわたる日々を
表現し生き抜いたヘンタイさんである(笑)
定家讃として
そして学生時代の恩師へのオマージュとして
彼の功績をもう一度たどってみたいな、と思っています。
わかりにくい表現などがあれば、コメントしていただければ幸いです。