よしなしごと

稀代のヘンタイ定家のよしなしごとをつれづれに

定家の恋のうたとSPITZ

わすれぬや さはわすれける 我が心 夢になせとぞ いひてわかれし

 

 

くるしい恋をした時って、

もう思い出すのもつらくって

むりやり日常生活に一生懸命になってみたりして

忘れた気になっているんだけど

まだ自分の中では恋はふたをしただけ

見ないふりをしただけで

何かの拍子に ぐっと胸をついてくる。。。

 

難解な歌なんだけど、たぶん、気持ちはそんな感じ。

 

私は忘れてしまっていたのだろうか

そう、忘れてしまったのだ 自分の本心を

せっかく逢えたあの恋を いけない恋だから

夢をみたことにしましょうと いって別れてしまって

恋心そのものも忘れたつもりでいたのだけれど

やっぱり忘れることなんかできてなかったんだ

 

という歌です。定家26歳の時の歌です。

若い頃の彼らしいちょっと抽象的で小理屈をひねった感じもいいw

せつなさにあふれているのが 私のお気に入りです。

 

この歌を読むと思いだすのが

SPITZの「正夢」

 

youtu.be

 

「ハネた髪のままとびだした

今朝の夢の残り抱いて

冷たい風 身体に受けて

どんどん商店街を駆け抜けていく

「届くはずない」とか つぶやいても また

予想外の時を探してる

  

八つ当たりで傷つけあって

巻き戻しの方法もなくて

少しも忘れられないまま

なんか無理矢理にフタをしめた

デタラメでいいから ダイヤルまわして

似たような道をはみ出そう

  

どうか正夢 君と会えたら

何から話しそう 笑ってほしい

小さな幸せ つなぎあわせよう

浅いプールで じゃれるような

ずっと まともじゃないって わかってる」

 

 

これ、まんま定家の「逢不逢恋」の世界じゃないですか?

切ない恋、苦しい恋 まだ終わってない恋が

無理やりにふたをして忘れたふりをしていても

ふとした瞬間にふたがパカッと開いて 

思いがあふれてくる気持ちを読んだのでしょう。

 

歌は難解で、技巧に満ちた言葉でつづられていても

込められた恋の思いは、とてもつよくリアルに響いてくる。

 

ちなみに、この歌の解釈は

正徹(しょうてつ 1381-1459)の説にしたがっています。

うたの主人公は男性。

もう一つの説は歌の主人公を女性とするもの。。。

 

あなたは私のことなど 忘れてしまったのかしら

そう、きっとわすれてしまったのに違いない

いけない恋だとわかってて逢瀬を重ねたあの日、

これは夢だと思って、なかったことにしてもいいから逢ってください

といって一夜を過ごして別れていったのだから。。。

 

。。。一気に歌がジメジメして

何だかこじらせた感じしませんか?(苦笑)

恋心もなんだかヤリ*ンがワンチャンして逃げてったような

ちょっとありふれた歌になる気もする。。。

 

やっぱり私も

室町時代の人と同じく正徹の説を支持したいと思います。

現代の私たちには、男女の違いはなく同じように感じるのではないかしら。

 

室町の人たちも、苦しい恋をして

無理やり忘れたふりしてるけど

何かの拍子に恋心をつのらせていたと思うと

同志的な気分になりますw

 

ヤツの美意識 定家様 その1

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元祖 ヘタウマって可愛い(・∀・)!を広めた人

定家は和歌の人として神格化されたこともあり、

今にいたるまでわりとたくさんの書がのこされています。

 

古今和歌集〈藤原定家筆/〉 文化遺産オンライン

 かなり癖があって、けして書道の世界では美しい書という評価ではない。

 

 実はこの時代の美しい文字ってこんな感じ。

 

石山切(貫之集下) 文化遺産オンライン

墨の濃淡にリズムがあって、流れるような美しさです。

美しい音楽を聴いているかのよう。

 

それにくらべて、定家の筆跡は

太い線と細い線のコントラストがはっきりしてて、なんとなくぽっちゃりしてる。

そして一つ一つの字がつながってない(これって、当時はかなり異色)

漢字とかなとの大きさにあまり差がない。

わりと字が大きい。

じつは本人も自分の筆跡がアレなことは自覚していたようで、

幼少期にきちんと習ったにもかかわらず書では挫折したけど、

俺の字は本を書き写すのに最適な書き方なんだぜ~といっています。

(このことについては後述の予定)

 

この特徴的な書はその後、たくさんの人に真似されて

定家様(ていかよう)って名前がつけられてます。

古い書物を手にとってこの手の文字が出てきたら、まず鎌倉期以降のものですね、

って判定できるぐらい写本の流れを変えているのです。

 

じつは現代でも

この定家様をいろいろなところで目にしています。

化粧品とか。

そしてフォントにも♡

新しいタイポグラフィの表現を可能にするために 日本語プロポーショナルかなフォント かづらき® の取り組み

どことなくヘタウマなんだけど読みやすくて可愛い(・∀・)!

枕草子の「をかし」の可愛いはcuteなんだけど、それとは違う。

適当な英訳がみつからない日本独自の価値観でもある「ヘタウマ」

ヘタウマって可愛いんだよって

こんな価値観をつくったというのもすごい。

 

 

 

これから

美を追求した歌人の泥くさい和歌

夏になって照りつける日射しに

クラクラするころになると思いだす歌がある。

 

行きなやむ 牛の歩みに たつ塵の 風さへあつき 夏の小車

 

夏の暑い昼下がり。混雑している大通り、ちっぽけな貧乏貴族の自分の乗る牛車は渋滞にまきこまれて、さっきからちっとも進まない。

御簾から入り込んでくる風さえ熱風で、あまつさえ牛の歩みも遅ければ、照りつける地面から撒きあがる土ぼこりと牛から醸し出すむわぁ~っとした臭気さえもが入り込んできて、暑くるしさがハンパない。イライラ倍増するぜ~って歌です。

 

和歌ってうつくしいもの、刻一刻と変化していく美しい景色や

恋のせつなさ、楽しさ、哀しさを歌うものじゃなかったの?

こんなリアルで泥くさい和歌を、イライラする感じ満載で

平安時代の人が歌っていたなんて。。。と衝撃をうけた。

 

さらにこの歌の作者が、美を限りなく追究して

和歌のスタンダードを確立し、

源氏物語」の今にいたるまで通用するテキストを確定し

おまけに書の世界では画期的な変革&価値観をもたらした

天才歌人藤原定家であることに二度びっくりした。

 

そこにいるのは、

和歌の大家としてすましてお洒落な宮廷歌人ではなく、

泥くさくてイラチで社会的に評価もされず裕福でもなく

ちっぽけな自分に誰よりも自分自身がいらだっている

人間くさい一人の男としての定家という人物だった。

 

定家。。。

藤原定家(ふじわらのていか)といえば、

たぶん読者の皆さんのもつイメージとして

日本史では「新古今和歌集」を選定し、和歌というものの一つの頂点を確定した人とか

お正月や中学高校時代に暗記させられた

百人一首」を作った人と思われていると思う。

 

私のなかでの定家は、

美をあくまでも追究し誰よりも生に執着し

自分の中での美しいもの・正しく残しておくべきものを確固として持ちつづけて

当時の平均寿命のほぼ二倍の長きにわたる日々を

表現し生き抜いたヘンタイさんである(笑)

 

定家讃として

そして学生時代の恩師へのオマージュとして

彼の功績をもう一度たどってみたいな、と思っています。

わかりにくい表現などがあれば、コメントしていただければ幸いです。